孤独だった私を救ったのは読書だった|60代になってわかった「本が人生を変える」ということ

古い木の机に並ぶ『深夜特急』『自省録』『城中の霜』『書くことについて』をイメージした本と、開いたノートとコーヒー。孤独だった筆者を読書が救い、人生を変えていった実体験を表すアイキャッチ画像。

孤独だった私を救ったのは読書でした。

本は、私の生きづらかった人生の中に、孤独を癒し、希望を与えてくれるものでした。

若い頃の私は、厳格な父の元、孤独で、コミュニケーションが苦手で、自我が弱い人間でした。

当然、親(特に父親)との関係もうまくいっていたとは言えません。

今みたいにSNSもない時代でした。

だから、私が現実逃避する場所は本しかありませんでした。

学校の図書館で借りる。

ちょっと離れた街の本屋へ行く。

古本屋を回る。

読むことも楽しみでしたが、こんな風に、本を手に入れるために、いろんなところへ出かけ、お気に入りの本を探すこと自体も楽しみだった。

今振り返ってみても、私は本により、その内容に共感したり、わくわくしたり、悲嘆にくれたりして、つらい現実から逃れ、自分を守っていたんだと思います。

そして今振り返ると、あの時間が、私をゆっくりとではあるが、成長させ、生かし続けてくれたのだと思います。

本を読むことは、単に知識を得たり、逃避の手段にとどまりません。

人の意識に深く刻み込まれることで、その人の人生を大きく変えたり、思わぬ出会いを提供してくれるのです。

子どもの頃に読んだたった一冊の本が、30年後の人生に、びっくりする経験をもたらしたりします。

そんなことが、本当にあることを、次の私のエピソードで示します。

目次

■ リビングストンと、ビクトリアの滝

小学校時代、父が買ってくれた「少年少女文学全集」の中に、探検家リビングストンの伝記がありました。

その本の挿絵を、私は今でも覚えています。

アフリカ大陸を探検し、巨大なビクトリアの滝を発見する場面。

ものすごい水煙。

断崖。

巨大な滝。

子どもながらに、

「自分も大人になったら、世界中を見て回りたい」

そう思いました。

たぶん、あの頃の私は、田舎の閉塞感みたいなものを、子どもなりに感じていたんでしょう。

だから、本の中の「遠い世界」に強く惹かれた。

そして、その30数年後。

私は仕事でアフリカへ行くことになります。

ザンビアだったか、リビングストンという町に行く機会がありました。

仕事が終わったあと、現地ガイドが軽い感じでこう言いました。

「近くにちょっとした滝がありますけど、見に行きますか?」

だから私も、

「いいですよ」

と軽く答えた。

ところが、連れて行かれた場所で、私は完全に固まりました。

そこにあったのは、あのビクトリアの滝だった。

小学校時代に挿絵で見た、まさにそのままの世界。

巨大な水煙。

轟音。

「ああ、本当にあったんだ」

そう思いました。

なんだか、不思議な感覚でした。

30年以上前に、本の中で見た景色の中に、自分が立っている。

読書って、なんなんだろうと思った。

本は、ただ知識を増やすものじゃない。

子どもの心の中に、静かに夢を埋め込んでいく。

そして何十年後かに、それを人生の中で回収してしまう。

そんなことが、本当にある。

■ 『深夜特急』にやられた大学時代

大学生の頃、沢木耕太郎の『深夜特急』(新潮文庫・新潮社)が私のバイブルでした。

小田実の『何でも見てやろう』と合わせて、私を世界へ開いてくれた本でした。

あの本を読んだ人なら分かると思いますが、『深夜特急』は単なる旅行記じゃない。

若さの有り余るエネルギーと好奇心が、見たことがないものを見たいという純粋な好奇心が詰まっています。

「どこか遠くに行きたい」

「今いる場所から抜け出し、見たことがないものを見たい」

その衝動が、ページから噴き出しています。

私は沢木耕太郎に憧れ、自分も旅に出たいと心底思うようになりました。

大学卒業間際。

思い立って就職前に旅に出ようと思い、『深夜特急』よろしく、香港に飛び、深圳から中国に入り、シルクロードを目指すこととした。

ところが、広州で長安行きの列車のチケットを取ろうとしたら、4月の入社式に間に合わないことが分かり、泣く泣く断念。

上海に2週間滞在して帰国した。

今思えば、たいした旅じゃない。

でも、あの頃の私は本気だったし、世界をこの目で見てみたかった。

自分の知らない場所へ行きたかった。

そして、その衝動を与えてくれるきっかけとなったのは、一冊の本でした。

今振り返って思うのですが、若い頃に「世界は広い」と思わせてくれる本に出会えるかどうかで、人生に相当大きな影響を与えてくれる気がします。

■ 中学生の頃に読んだ『城中の霜』

中学生の頃、父の書棚にあった山本周五郎の『城中の霜』を何気なく手に取り、読みました。

『城中の霜』は、『山本周五郎全集 第十八巻 須磨寺附近・城中の霜』(新潮社)などに収録されています。

安政の大獄で処刑された橋本左内の最期を描いた短編です。

まだまだ大人になり切れていない中学生の私にとって、この作品は、人の生き死について大きな影響を与えました。

「武士として堂々と死んだ、堂々たる死にざまだった」と伝え聞いた幼なじみの娘が、しかし、本当の橋本左内ならそんな死に方はしないはずだと胸を痛め、方々を訪ね歩き、「本当の最期」を知り、安心してさめざめと泣く。

私はそこに強く心を打たれました。

人間とは、最後まで強く、美しく、完璧でいられるわけじゃない。

そんなのはまやかしで、この世で成し遂げたいことがあるのなら、死ぬことが悔しく悲しいのが人間なんだと思い知りました。

子どもながらに、

「人の一生とははかなく、何が起こるかわからない。だからこそ悔いなく生きなければ」

と実感したことを、うっすらと覚えています。

死に方とは、生き方の最後の一場面だと思います。

取り繕っても、最後にその人の本質が出る。

だから大切なのは、「どう成功するか」より、「どう生き切るか」「どう死ぬのか」が重要であると思っています。

これも読書が私に教えてくれた、とても大切なものなんだと実感しています。

■ 海外で孤独だった私を救った『自省録』

20代後半、海外派遣(韓国)されていた時期がありました。

かなりしんどかったです。

慣れない環境。

孤独。

ストレス。

そして、若い頃の私は今以上に神経質で、人の目ばかり気にしていました。

そんな時に、肌身離さず持ち歩き、折に触れて読んでいたのが、マルクス・アウレリウスの『自省録』(岩波文庫・岩波書店)です。

ローマ皇帝でありながら、ストア派哲学者として、戦争に明け暮れる中でも、自分を律し、「人はどうあるべきか」を問い続けた方です。

その抑制的な文章が、私の心に沁みました。

「頑張れ!」でもない。

「夢を叶えろ!」でもない。

「成功しろ!」でもない。

もっと静かに、

「ちゃんと生きろ」

と言われている感じでした。

あの頃の私は、不安で、孤独で、精神的にもかなり追い詰められていました。

でも『自省録』を読むと、なんとかつらい日々をやり過ごせた。

戦争の中にいる皇帝が、自分自身に向かって静かに語りかけている。

その文章を、異国で不安だった20代後半の私が読んでいる。

時代も立場もまったく違う一人の男に、支えられ生きていた。

読書とは、そういうものだと思います。

現実の自分の横には誰もいなくても、本の中には、何百年、何千年も前に苦しみながら考えた人がいる。

それを読むことで、人は少し孤独でなくなり、生きる勇気を手にすることができるのです。

■ 『書くことについて』――真実を書くということ

割と最近読んでぐっときたのが、スティーヴン・キングの『書くことについて』(小学館文庫・小学館)です。

これは小説作法の本でもありますが、内容を読むと、単なる文章術の本でないことがよくわかります。

「書くとはどういうことか」

「人に届く文章とは何か」

この本の中に、こんな言葉があります。

「何を書けばいいのか……書きたいことを書けばなんでもいい。それが真実であるかぎり。」

私はこの言葉にぐっときました。

私は小さいころ、「作家になりたい!」と思っていましたが、そうはなっていません。

なぜか?

「書きたいことを書かなかった!」ということに尽きます。

最近ようやく、ブログやnoteを書いていますが、結局、きれいごとや空言を書いても人には届かないと思っています。

かっこいい自分を書いても、読まれない。

女性とうまく話せなかったこと。

あがり症で人前が怖かったこと。

結婚寸前で踏み込めなかったこと。

若い頃にぐずぐず迷っていたこと。

そういう、あまり見せたくない部分を書いた時のほうが、文章に体温が出る。

キングの『書くことについて』を読むと、文章上達の神髄って、結局、「真実を書くこと」なんだと思わされます。

もちろん、私は小説家ではありません。

でも、ブログやnoteを書くことで、やっとこれまでの自分の希望が実現したように思います。

自分が本当に見たもの。

本当に感じたこと。

本当に恥ずかしかったこと。

本当に救われたこと。

そこから逃げずに書く。

それができた文章だけが、読んだ人の中に残るんだと思います。

■ 読書は「自分の頭」を作り、行動を促す

今振り返って思うのは、

読書とは、単なる知識ではないということです。

むしろ、

「自分の頭を作ること」「行動を促すこと」

なんだと思っています。

もし本を読んでいなかったら、私はもっと危うかったと思う。

孤独だった。

自信もなかった。

人の目ばかり気にしていた。

だからこそ、簡単な言葉や、強い思想や、「これだけやれば人生が変わる」みたいなものに、影響され、引きずられてもおかしくなかった。

実際、若い頃はアメリカ流の成功哲学にもかなりハマりました。

潜在意識。

成功イメージ。

瞑想。

でも、結局それだけでは人生は変わりませんでした。

なぜか。

自分で動かなくても、何かが人生を変えてくれるような気になってしまうからです。

でも、本を読み続けていると、だんだん分かってきます。

人間ってそんな単純じゃない。

人生ってもっと泥臭い。

苦しいし、迷うし、失敗する。

でも、それでも何とか動いて生きていくしかない。

読書の力とは、その「耐える力」「動く力」を少しずつ人間に与えるものだと思います。

■ 本は、人生の中に伏線を埋め込む

今の私は60代です。

20歳年下の女性と再婚し、子どもにも恵まれました。

若い頃には想像もしなかった人生です。

でも、その人生の根っこには、間違いなく読書がありました。

孤独だった夜。

行動できなかった頃。

失恋した時。

海外で苦しかった時。

その全部に、本がありました。

そして不思議なことに、本で読んだものは、人生のどこかで活きている。

だから私は今でも本を読みます。

投資の本も読む。

哲学も読む。

小説も読む。

死についても読む。

生き方についても読む。

読書は、すぐには人生を変えません。

でも、人間を静かに変えていく。

気づかないうちに。

そして長い時間をかけて、その人の輪郭を作っていく。

私はそう思っています。

(続く)

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