60代からの人間関係整理術|義理や遠慮を手放し、最後は家族と命の輪に帰る

60代からの人間関係整理術をテーマに、老後は義理や遠慮より家族と命の輪に帰る大切さを表現したアイキャッチ画像

年を取ると、若い頃には気にならなかったことが妙に気になるようになります。

あの人は自分をどう思っていたのか。
なぜ、あの時、一言がなかったのか。
なぜ、こちらはこんなに引きずっているのに、向こうは平気な顔をしているのか。

まあ、当たり前ですよね。
残り時間が減ってくるからです。

若い頃なら、多少の遠回りもできます。
嫌な人間関係も、仕事だから、世渡りだから、将来のためだからと、自分に言い聞かせて何とかやれる。
でも60を過ぎると、その手の嘘がだんだん効かなくなってくる。

この人に気を使う時間、あと何年やるのか。
この会合、あと何回付き合うのか。
昔の義理、昔の縁、昔の上下関係。

それを本当に死ぬまで持っていくのか。
そう考えるようになります。

私は最近、つくづく思います。
人間関係を大事にしろとか、縁は切るなとか、昔の恩を忘れるなとか、そういう話は半分は本当でも、半分は足かせです。

もちろん礼は大事です。

世話になった人を全部悪者にする必要はない。
恩があったことまで否定する必要もない。

でも、それと、自分を削ってまで付き合うかどうかは別の話です。

目次

人間関係って、仲良くしているつもりでも案外もろい

人間関係って、仲良くしているつもりでも案外もろいです。

こっちは信頼していた。
こっちは、それなりに義理も果たしてきたつもりでいる。

でも向こうは違う。
必要がなくなれば離れるし、面倒な場面では引くし、こちらが一番欲しかった一言は最後までくれなかったりする。

私にも、そういうことがありました。

昔、かなり信頼していた上司がいました。

一緒に上司・部下として仕事をした時期もあり、その人はその後、組織のナンバー2にまで上り詰めました。
面倒見のいいところもあった。

実際、私はその人に敬意と恩義を感じていて、その人を囲む懇親会みたいなものの世話人を、自分から買って出ていたくらいです。

少し派閥的な空気のある会ではありましたが、それでも私は、それを嫌々やっていたわけではありませんでした。
この人には世話になった、という気持ちが本当にあったからです。

ところが、人事の場面で、私は外されました。

私としては左遷だったと思っています。

表向きはそんな言い方はしません。
人事異動だの、配置だの、組織運営上の判断だの、言葉はいくらでもあります。

でも受ける側には分かる。
ああ、自分は外されたんだな、と。

しかも、本当に嫌だったのは、そのあとでした。

理由のようなものを、その上司から聞かされた。

上で聞いた話として、要するに「お前が仕事をしている上司を置いて先に帰ったのが響いた」というような話でした。
聞いた時、正直、何だそれと思いました。

それが本当の理由だったのかどうかも分かりません。

でも、長く一緒に働いてきた人間に最後に渡される説明としては、あまりに薄い。
しかも、その説明をそのまま伝えて、自分は少し味方のような顔をしている、その感じが一番嫌でした。

守ってくれなかったこと自体もつらい。

でも、それ以上に、守ってくれなかったのに、守ったような顔をされることがきつかった。
そして、本当に欲しかったのは説明じゃなかったんです。

「大変だったな」
「よくやった」
「残念だったな」
「すまなかった」

たぶん、それだけでした。

今になって思います。

人は左遷や異動そのもので壊れるんじゃない。
その時に、どう扱われたかで壊れるんだなと。

礼は残す。でも、無理な付き合いまではしない

そのあと、私は礼を尽くした短いメッセージを送りました。

悔しさや複雑さも少しにじませながら、それでも大人の文面にした。
感情をぶつけるのではなく、でも何もなかったことにもしたくなかったからです。

その後、昔の同僚から飲み会のような話も出ました。
昔なら私が世話人をしていた流れです。

でも、私はそこにうまく乗れませんでした。
曖昧な返事をして、そのまま少し距離を置いた。

嫌だったからです。

今さら何だよ、という気持ちもあった。
そして、そういう気持ちに、もう嘘をつきたくなかった。

そのあと、書店でその上司と偶然会いました。

向こうもこちらに気づいていたはずなのに、顔をそらして知らないふりをした。

ああ、この人は今でもそうなんだなと思いました。

当時も向き合わなかった。
今も向き合わない。

まあ、一貫していると言えば一貫している。

ただ、私は人間関係というのは、白か黒かで切れないとも思っています。
全部切ればいい、全部許せばいい、そんな簡単な話ではない。

世話になったことも本当。
傷ついたことも本当。

両方ある。
そして、その両方を抱えたまま、少しずつ距離を取るしかない相手もいる。

だから私は、礼は残す。
でも、無理な付き合いまではしない。

そのくらいでいいと思うようになりました。

60代からの人間関係の整理は誰かを切ることではない

人間関係の整理というと、嫌な人を切れとか、関係を断てとか、そういう話になりがちです。
でも私は、そこまで単純ではないと思っています。

本当の意味で大事なのは、何を減らし、何を残し、何に帰るのかです。

『最高の人生の見つけ方』って映画がありました。

あの映画は、余命の見えた男たちがやりたいことをやっていく話として見られがちです。
でも本当に大事なのは、派手な冒険ではなく、最後に家族へ戻っていくことだったと私は思っています。

ジャック・ニコルソンが演じる孤独な大富豪が、疎遠だった娘と和解し、その娘の子ども、つまり孫娘にキスをして「世界一の美女にキスをする」という遣りたいことが最高の形で実現する。

あれ、ただの洒落じゃないんですよね。
結局、最後に戻っていくのは家族なんだ、という話です。

若い頃は外へ外へと広がっていく。

仕事の人脈。
上司。
同僚。
飲み会。
会合。
派閥。
評価。
紹介。

そういうものの中で、自分の位置を作ろうとする。
でも年を取ると、話が逆になる。

外へ広げるより、内へ戻っていく。

広げてきたものを少しずつたたんでいく。
いらない関係を減らす。
義理を軽くする。
遠慮を手放す。

その先で、最後に何の中に自分を置き直すのか。
そこが問われる。

最後は、命の輪の中に自分を置き直す

私は、やっぱり大事なのは家族だと思っています。

妻。
子ども。
その先にいるかもしれない孫。
ご先祖様から受け継いだ命。
そして、その輪の中にいる自分。

ここをないがしろにして、何を守るのか。

昔の上司との義理か。
同期との見栄か。
派閥の飲み会か。

そんなもの、比べるまでもない。

年を取れば、自分の残り時間を嫌でも気にしだします。

当たり前です。
だからこそ、他人の気持ちに振り回されている時間なんてない。

あの人が自分をどう思ってるか。
この会に出ないと悪く思われるか。
昔の義理をどこまで守るか。

そういうことばかりに時間を取られている場合じゃない。

やりたいことをやる。
やりたくないことは減らす。
会いたい人と会う。
気を使う相手からは少し離れる。
そして最後は、ちゃんと家に帰る。

私はそれでいいと思っています。
いや、そのくらいが一番まともなんだと思います。

人間関係を整理したら寂しい。でも、それでいい

ここで「人間関係を整理したら寂しくないのか」と聞かれれば、そりゃ少しは寂しいです。

  • 昔の縁が薄くなる
  • 飲み会に呼ばれなくなる
  • 役割がなくなる
  • 上司との関係が壊れたと分かる
  • 同期が上に行く

そういうのは普通に刺さります。

人間だから。

でも、だからといって、無理な付き合いを続ける方がいいかというと、それも違う。

寂しさはある。
でも、気を使う人間関係は、寂しさ以上に自尊心を削ってきます。

少しずつ、じわじわと。

あれの方がずっと厄介です。

だから私は、少し寂しくても、自分の気持ちに正直な方を選びたい。

他人の顔色ばかり見て、昔の義理に縛られて、自分の時間をどんどん削っていく。

そんな老後は、やっぱりもったいない。

人間関係を整理したあと、何をやるか

ただし、ここで切ることだけが目的になったらダメです。

切って終わりでは、ただの孤立です。
大事なのは、整理したあとに何をやるかです。

私の場合で言えば、文章を書くことはとても楽しいものです。

こうやって自分のことを言葉にして、整理して、人に読んでもらう。
それだけでもだいぶ違う。

昔なら、ただ頭の中でぐるぐる回って混とんとしていた思いが、書くことで整理されていきます。

それから、家のこと。

投資のこと。

妻や子どもとの時間。

自分の暮らしを整えること。

少人数で、本当に気を使わずにいられる相手とだけ会うこと。

自分の経験を作品や商品に変えること。


そういうものが、人間関係を整理したあとの空白を埋めてくれる。

要するに、人間関係を整理するというのは、人を切ることではなく、自分の時間を、家族と自分の人生に返すことなんです。

まとめ:年を取ったら、人間関係を広げるより、自分の時間を守った方がいい

これが、私が今一番言いたいことです。

年を取ったら、人間関係を広げるより、自分の残り時間を守った方がいい。

しかもその残り時間は、結局、妻や子ども、受け継いだ命の輪の中に帰っていくべきです。
私は今、そう思っています。

少し寂しい。
でも、そのかわり気楽。
しかも、その先に帰る場所がある。
それなら十分です。

私は、そうやって死んでいけたら悪くないと思っています。
いや、たぶんそれが、自分にとっての大往生なんだと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

この話には、ブログではまだ書いていない続きがあります。

信頼していた上司に失望したこと。
それでも礼は捨てきれなかったこと。
そして「また飲みましょう」と返された時、私の中で何が終わったのか。

もっと踏み込んだ本音は、noteに書きました。

▶ noteで続きを読む


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